2016年6月23日木曜日

増殖するミニマリスト



 ミニマリストという言葉が少し流行ってますね。20世紀はとりわけ戦前戦後の頃の物不足の影響が強く、「たくさん持つ」ことが富の象徴だったんじゃないんでしょうか。大量に生産して大量に消費する、まさしく右肩上がりの思考です。車もできるだけ高級なものを持つことがステータスだった。その車は日常的に利用するかも考えずに。




 こんな時代のマーケティングはやりやすかったんでしょう。「こんなモノが流行っている、はやく買わないと時代遅れの人間だ」というようなことを言って煽っていればかなりの人が釣れたんじゃないんでしょうか。

 一方で、21世紀型というか、ネットの時代だからこそ出てきたのが、ミニマリストに代表されるように、「持たないことこそ富」であるという発想です。ミニマリストという考え方はすべての人がもっている考え方ではないですが、確実に増えている実感があります。ソーシャルメディアの登場やクラウド技術を駆使したストレージなど基盤となる技術が浸透したことによって、意識せず自分はいつのまにかミニマリスト的な生活をしているという人が多いと思う。

 私はおそらくミニマリストの定義に当てはまるであろう生活をしている。音楽や本はすべてgoogleのクラウドにあげていますし、情報も雑誌や新聞を買わずにネットで収集します。スマホ以外のモノはできるだけ排除していってます。食料など最低限のモノはアマゾンで買っています。CDやDVDも買ったりレンタルはせずに、定額のストリーミングサービスを利用してます。基本的に部屋にモノが残ることがどうしようもなく嫌です。もちろん見栄を張るだけの背伸び消費なんかはしません。

 だから、というわけでアップルのアップルウォッチには拒否反応が出ました。なぜスマホでできることを無理やりディバイスを増やしてまでするのか、と。アップルウォッチに限らずポストスマホといわれるスマートなんとかという商法はどうしても好きになれませんでした。それなら、愚直にスマホだけでできることを極めてほしいです。

 ミニマリストであることは極めていきたいのですが、まだ排除できないものはあります。パソコンもまだ排除できるほどスマホは進化できてないです。ただ、技術革新とともに、ミニマリストが求める世界は限りなく実現できると思います。


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